表舞台2016年01月20日


木版画/笹島喜平 作
もう何十年も前にシートでもらったものを額装してみました。
立体の物も入る深い額なのと作品が小さいこともあり、作品は浮かせて貼ることにしました。

私の子供たちもネコ好きなのですが、如何せんネコの毛アレルギーと診断されていて飼うことはかないません。

小さい作品ながら迫力ある猫です。


「君は隅田川に消えたのか」 駒村吉重 著2015年10月15日

それまで持っていた作品のイメージを180度変えた館林美術館での「藤牧義夫」展。

ミュージアムショップに「君は隅田川に消えたのか」は置かれていました。貧困の中に消えていったと言われる版画家のどこにミステリーがあるのか、その本の帯に書かれた「ミステリーは・・・」にほんの少し興味が湧き、買って帰ることにしました。

若き画廊主「大谷芳久」が版画家「小野忠重」から藤牧義夫遺作展のための版画を受け取ります。遺作展での作品はその大半を東京国立近代美術館が買い取ります。

藤牧義夫は当時「画友」小野忠重を訪ねた後、消息を絶ちます。24歳と8ヶ月。

「画友」小野忠重による評伝「藤牧義夫」によれば貧困であり病弱であった彼が絵に命をささげ、隅田川に自ら身を投じたと言うことの様です。

画廊主大谷芳久は藤牧義夫の代表作「赤陽」に疑問をいだきます。版画だからこそたどり着けたとも言えます。「藤牧義夫 真偽」大谷芳久著として小野忠重から渡された作品にある改変の跡を見つけ出し纏めています。

藤牧義夫によるオリジナル赤陽と消息不明となった後誰かによって後摺されたものがあるのではないかと・・・。後摺のその作品には芸術性が損なわれている事を大谷芳久は見つけ出していきます。

だれが何のために・・・・。藤牧義夫の失踪とどう関わっているのか・・・。
実在の人物、実在の作品、実在の研究資料等、近隣館林市出身の芸術家藤牧義夫を観ると言う点からもなかなか面白いと思います。

休日2015年09月07日

家族・休日の朝/大野隆司
家族・休日の朝/大野隆司 1999

作品の添え書きに、作家は次のように書いています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とうさんのふとんから
こっちのふとんにもくりこむ
かあさんのにおすがする
つぎはあっちだ
しかし
ねえちゃんのまもりはかたい
「きみは
子猫のうまれかわりかい」
CMソングをうたうちようしで
とうさんがいった
そうだよ
だから ずっとねてるんだもん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
        -家族・休日の朝-   大野隆司作

休みには、諸々作業がたまって朝飯前から仕事です。
それも、気持ちの良い毎日を過ごすための一仕事です。

柿崎 兆2015年09月01日

水門/柿崎兆
写真は「水門/柿崎兆/1986年制作 木版」です。

初めて柿崎兆の名前を知ったのは、ちょうどこの作品が制作された頃だったと思います。何処かの画廊が出した広告に名前とともにこの作品が載っていました。

作品と名前が妙に興味をそそりました。

しばらく気になっていて、いよいよ近くの画廊に問い合わせたところ、取り扱い画廊がないので作家から直接仕入れたと言うことです。まだまだ無名に近い作家で1作品何千円かだったと思います。このとき数点購入しました。

特に、この「水門」には少しの間、息を止めてしまうくらい見入ります。

その後、個展などの情報もなく数年過ぎた頃、美術雑誌で盛んに柿崎作品が取り上げられました。ブームを作ろうと、そんな思惑があったのかどうか?・・・。瞬く間に価格は急騰し、手も足も出なくなってしまいました。

作家が評価されるのはうれしいのですが、今度はその作品が手に入らなくなってしまうのはなんだか寂しい気もします。

版画の良いところは、版画の表現そのものと複数の実物がありその分値段が安いと言うところです。

それでは、勢い作品枚数を数多くと言いたいところですが、柿崎作品の摺痕・・・特に裏面など見ると、そう多くは刷れないなと思えてきます(そう、版画は作品の裏側やまたは透かしてみる楽しさもあります)。

裏側に力強さが隠れていました。

「汎画」個人展覧会2015年08月25日

谷中安規個人展覧会/大野隆司
大野隆司、紙屋清貴など「汎画」に関連する作品が多少なりと集まった頃、展覧会を私の自宅でやりたいと作家に話したところ、「ぜひ ! 」と承諾いただいたのですが・・・もっぱら、経済的理由で現在まで実現していません。

大野隆司にとって「谷中安規」は創作の原点なのでしょう。個人で展覧会まで開いてしまいます。

ここ数日、世界の経済は大波乱です。振り返ると、争いの原因のほとんどは経済だったと言うことなのかも知れません。日常に気取らない美しさを(美だけとは限りませんが)、たまには見つめて経済を忘れてみたいと思います。

大野隆司 外套詩集 12015年08月06日

外套詩集.1表紙/大野隆司
1998年発行「外套詩集 第1号」のあとがきに大野隆司は次のように書いています。

               あとがき
版画には詩がよく似合う。あたかも富士と月見草のように。私は詩人ではないが版画家である。半バカでもある。しかし、版画家の詩は、詩になっていない。このことは戦前の版画同人誌が証明している。だから私にも(詩になっていない)詩が書けるというわけだ。

そんなわけで、詩の紹介は止めておくことにします。

なんだか、こんなふうに何かを始めるのも良いかもしれません。

EXLIBRIS2015年07月15日

紙屋清貴の作品です。「KAMIYA EXLIBRIS」と画かれていることから作者本人の蔵書票として作ったもののようです。

陽刻された簡素な線から爽やかな風景が見えてきます。油絵がメインの画家のようですが、木版画での陽刻された簡素な線の表現は俊逸です。

大野隆司 木版画作品集2015年07月09日

1986年「大野隆司木版画作品集」(非売品)として発表されたなかに「眠むる」と題され収められています。

私は、黒く丸い形が好きです。墨刷りなので当然白黒、波立つような彫り痕・摺痕、眠りの中にあるはずの目は何を窺っているのでしょうか。やはり、眠りの中にあるはずの耳には何が聞こえてくるのでしょう。

「自由に作ったものばかりですが、まず自分が先にたのしんでしまいすぎ、・・・」とあとがきにあります。

手に取って見られる小さな作品からは、作者とは違った楽しみが湧き上がってきます。

そんなこんなで楽しんでいたら、経済の怪しさで世の中、急にざわつき始めました。

大野隆司2015年06月23日

汎画第12号の中表紙
昭和初期 版画誌「白と黒」がありました。
谷中安則、棟方志功の二人もこの中から出ています。

「汎画12号」はBLACK AND WHITEと題して黒と白の作品を集めています。そして、その目次には「ひとめくりごとに、いろいろな意志があります」と書き添えてあります。

なんと言っても墨刷りでの白黒の版画は見る者の想像を膨らませます。墨のニオイから始まって、ばれんの痕、余白や摺痕のかすれまで・・・全てが作者の意志を訴えています。

30年経って、あらためて見ると、同時代の作家だからこそ感じられるものがあったんだろうと、もう少し全体を見直して見たくなりました・・・30年程タイムスリップした気分になって・・・。

普通の人2015年06月15日

1980年代 大野隆司・紙屋清貴らによって刊行されていた月刊版画誌「汎画」がありました。

1985年6月6日発行「汎画・第10号」の奥付付記に「普通の人」と題して一文を載せています。以下、原文のまま記します。

"                普通の人

 月刊版画誌「汎画」第10号発行を祝っていただこうと、小野忠重、関野準一郎両先生方に当誌への御寄稿をお願いいたしました。やはり、なんと図々しいのだとお考えになりますか。
 そして、ことわりの御ハガキをいただきました。当然といえば当然当然なのです。天下の大版画家が、このような一銭にもならない同人誌へ作品を寄せていただけるなど、ほとんど不可能でしょう。
 しかし、それではあまりに御両人は「普通の人」ではないかと思うのです。両先生方は、創作版画運動期には「新版画」や「陸奥駒」という連刊版画誌を発行なさり、その中心的存在でした。また現在では、創作版画研究の第一人者でいらっしいます。版画誌に最も理解のあるはずの版画家なのです。
 「普通の人」であることを責めることはだれにも出来ませんが、それを悲しむことは出来ます。
 古今東西、歴史や文化を作り続けてきたのは、良い意味でも悪い意味でも、いわゆる「普通でない人」たちだったのではないでしょうか。
                                (普通人・記) "

ここには、両先生からの断り状も載っていて、高齢やらすでにかかえた仕事によって依頼の件は引き受けられないとなっています。

「汎画」はこの後、自画・自刻・自摺の版画誌として1990年代の初めまで続き、同人は画家としまたは文芸書の挿絵、装幀などで活躍していくことになります。

普通であるか普通でないかを普通人である私が判断できるはずなどないのですが、挑戦する力は「汎画」から十分に感じることが出来ました。