計画2016年05月10日

最初の想像や思い付きで計画が進むことはほとんどありません。
仕事そのものの依頼が無くなることも多いので、結果、計画のスタートで思い描いた全体像が形になることはまず無いと言えます。

リタイアした人の住宅計画がこのところ続いています。

この場合、新たな提案は、本当に必要なのかどうか?・・・、悩ましいところです。
大部分の人は今までの生活の延長で十分のような気がするのです。


時間2016年03月26日


再利用の梁
もったいないことは解っていても簡単に処分してしまいます。
上の写真は小屋裏に隠れていた梁の再利用です。和室の天井に使いました。

住宅の建て替えで、建て主から「何か記憶を引き継ぎたい」と言う要望です。今まで隠れていた構造材を見えるところに使うことにしました。下の写真も和室への廊下の天井に古い梁の一部を見せています。

再利用の梁2


街の色22016年03月13日


30数年前に設計し竣工した建物です。今で言うところのカフェでした。
現在は美容室として使われているようです。

通りから少し奥まった小高い場所に位置することから、遠目にも目に付く建物を想像しながら設計を進めました。まぁ、実際は小さい建物で、かたちで目立つことはないだろうと思い、色をどうするか悩んだことを思い出します。

緑を背景にした青、土色や街の灰色の中にある青、想像は膨らむのですが現実のペイントの青はなかなか建物に当てはまりません。

水彩絵の具でいろいろな色を作っては太陽の光の下で試してみます。

鮮やかな青色を想像しながら進めていたのですが、これが、だんだんと品のない色の方向へ進んで行くのです。

サックスブルーと言われる少しくすんだ青から色の濃淡を試して、現場の色としました。

現在は、青とは全く違う色の建物になっていますが、これも時間を積み重ねた街の色そのものなのでしょう。

街の色2016年02月26日

美容室+住宅
30年くらい前に設計・竣工した「美容室+住宅」です。
現在もほぼ当時のままの外観・用途を保っているようです。

ほとんどの建物は光りや温度・湿度による埃の付着などによる劣化により無彩色化していきます。特に日本の建物は湿度の影響による汚れの付着が思っている以上に大きいのではないかと考えられます。

商業施設の場合、建物その物の寿命に比べて商業施設としての寿命は極端に短いと言う現実があります。オーナーの経営的条件も加わると尚更です。

綺麗なグレーから時間とともに街の色へと変化をしていく・・・・。ゆっくりと変化していくイメージを想って設計を進めた記憶が少しだけ思い出されます。

美容室
こちらの建物も27~28年くらい前に設計・竣工した「美容室」です。
現在は美容室は廃業され事務所として貸し出されているようです。

建築のデザインがその用途として、その時代に受け入れられるかと言う問題の解決と経営的条件、特に個人経営の場合の事業継続への条件は建築20年を過ぎた頃から悩ましい問題として現れます。

建築費と予算2016年02月17日


建物になるまでにはどうしても建築費が予算内である必要があります。
当たり前なのですが、これがなかなかうまくいきません。

専門家なのだからそこを何とか・・・、当然、出来ることと出来ないことがあります。一番良いのは、「無理に作らないこと」などと言って施主に怒られたりもします。

学生時代、建築計画を教わった先生は、「白い四角」の家が好きな方でした。建築設計をやった後しばらく絵描きをやってまた建築に戻ってきたとか、平面も立体も四角で、へぇ、こんな住宅もあるんだと、当時は驚きました。そのころの私は篠原一男の「白の家」というのに憧れていて、確かに平面は四角、室内は丸い木の柱一本に白い壁のキッチンを含めた一部屋とベットルーム、軒の深い方形の瓦屋根・・・、白と四角と言う点では計画で教わる「白い四角」の家と同じなのですが、篠原一男のこの家での自由な生活を想像させる建物はあこがれでした。

上の図面も「白い四角」の家の範疇になるのでしょう。最近の街中を見ると「白い四角」の家ばかりが目に入ります。

それでもやはり、学生の頃想像した「白い家」での生活、今でもあこがれです。

EBD2016年02月09日

今年は梅(小梅)の実がたくさん付きそうです。

医療の世界では根拠に基づく医療 EBM(evidence-based medicine)として診療・治療に効果を上げているようです。手法も検証されより精度の高いものになるのでしょう。

EBD(evidence-based  design)を「ビジネスデザインスクール留学ルポ/大本綾 (ダイヤモンド社)」で初めて知りました。

仕事で関わる老人施設や身内の老人施設での生活を見ると、彼らのそれまでの生活は何処かで消滅してしまったのだと自分に言い聞かせなければ居たたまれなくなるほどの思いに駆られました。

施設となると政策に依ることが大きいのだろうと思います。個人で出来ることはたかが知れています。それでも、少なくとも身体が動く内は「evidence-based」  を積み上げていくことをEBDから教わりました。

レガシー2015年12月29日


谷中安規カット集より/大野隆司 編
[改造における谷中安規カット集/大野隆司 編集 1985]

大臣からテレビ司会者まで「レガシー」と連呼しています。

レガシー→遺産という意味だとすると、私の年代からなのか遺産→相続や分割を連想してしまいます。

有形無形にかかわらず、先人の残した財産という事を一般的(?)に遺産というのではないのでしょうか・・・?。彼らはこの「レガシー」から何を言いたいのか? 私にはさっぱり分かりません。

負の遺産にならないように・・・100年も200年も・・・などと言われると、ますます何を言っているのかさっぱりぽんです。

新国立競技場、やっと動き出すのでしょうか?。

ザハの当初案、私はこれに興味がありました。どんな風に出来上がるんだろ・・・・と。金がなければ出来ませんね・・・。挑戦的な建物、60年前に出来て今の時代は出来ないんですね・・・たかが2500億?・・・初めら5000億で作ると言っていれば、出来たかも知れません・・・残念。
もしこれが出来て、将来、遺産と認められるかどうかは別問題ですが・・・。

今風の建造物で決まりました。結果、予算以外こんなに大騒ぎすることはなかったように感じました。


確認申請32015年12月18日


口の周りが随分白くなりました/ブン

情けないことに、書類の書き間違いや図面の表現ミスを確認申請で指摘されます。間違いが訂正できるのでありがたいことでもあります。

耐震偽装問題をきっかけに法の改正やら運用の厳格化などで一時確認審査業務に停滞が起こりました。かれこれ10年くらいは経つのでしょうか。

その後、運用の改善やらが進み、新築物件については建築確認手続きに何か支障があると言うこともなくなりました。小規模な新築木造住宅での話です。

ところが、この運用の厳格化によってほとんどの増築が出来なくなった時期があります(手続き上適法にやろうとする場合)。今から10年くらい前までは工事完了時の検査をほとんどの建物が受けていなかったのです。法律上は手続き違反も違反ですので既存不適格にならないのです。住宅などは法律上、検査を受けなくても使用できることになっています。ですから当時、審査側も他のだれもが放っておいたのです。

それで、法律通り運用しようとしたら、違反のある建物に増築は出来ないと言うことになってしまったわけです。

昭和56年、平成12年に構造関係が大きく改正され、それ以前の建物はそれまで適法な状態であっても、法改正により不適合な建物になり、違反が無ければ既存不適格となったのです。ただし、手続きも含めて違反があれば違反建築物です・・・法律通り扱えばですが。

その後の運用の改善などで大概の審査機関(行政・民間)では(そんなに多くを知りませんが)増築も審査対象になりました。国からの通達、技術的助言などで、ある一定の条件下では手続きがそれほど高いハードルではなくなりました・・・一部の審査機関をのぞいて(私の知る限り)。

完了検査を受けていない建物についても既存不適格建物と判断できる基準を国は出しているのですが、一部の審査機関は適法性を証明しろと迫ります(証明しようとするには建物の大半を解体するしかありません・・・それでも、証明できるかどうかは分かりません)。国が出している手続き上の基準はクリアーしていてもです。「なんなんだかねー」

これでは受けつけないんだから前に進めません。しょうがないので別の審査機関に確認を出すことにします。

法律の第1条にはその法律の目的が書いてあります。法律的に行き詰まると此処を読むようにしています。









確認申請22015年12月17日


ワビスケ

住宅の設計では、その建物部分の設計を法律上の問題で悩むと言うことはあまりありません。個人の戸建て住宅に限って言えば法律による規制はあまり受けない種類の建物だと言うことが言えます。

国[建築基準法+施行令+規則+告示+通達]+地方[条例+細則+例規(解釈)+判断(担当)]、だいたい直接建築だけでこのくらいの中の条文が、法および法に準じて関わってきます。

個人住宅であれば、建物そのものにはそれほど難しい法律判断はありません。ただし、敷地や接道条件に関わる道路、それから排水などでは大いに悩まされます。あぁ、それから増築の時の既存の取り扱い(審査側がどのように判断するかによって、、、、これには結構へこたれます)。

こんな事がありました。
計画地に接する道路はすでに何年も前に全線拡幅整備された町道でしたが、管理者である町の道路台帳の幅員が直されていなくて、建築の審査側では元々の4m未満の所謂、法42条2項道路だというのです。現地の写真を付けて、道路管理者の幅員証明を付けても建築の審査側は道路台帳でしか幅員は判断できないというのです。道路台帳の修正には議会の承認が必要、今すぐなんて無理。町の道路管理者の所へ・・・・、審査担当者へと行ったり来たり・・・・、二度三度、いよいよ堪忍袋の緒が切れます。これを判断するのは設計者や建て主の責任か、と・・・あんた審査側が決まりを付けろ、と・・・。

建築基準法のどこにも道路台帳による幅員判断など書いてありません。設計者の幅員測定が信用おけないなら、審査側で測りに行けばいいのです。「自分で行って測ってくれば」と、そこまで言っても動かないんですね。彼らは何を審査し何を守りたいんでしょうか、本当に分からなくなります(自分が何時も正しいなんてもちろん思っていません)。

挙げ句どうなったかと言えば、道路台帳幅員3mの線、2m後退の線、現況道路幅員の線と文言を図面に表記、2m道路後退までが道路幅員で5mで整備された現況道路境界までは道路敷きだという判断だそうです。「なんなんだかね・・・?」

当初、審査側は、この場合の道路敷きによって接道しているかどうか、場合によってはこの部分の占用許可の必要性がある?云々を言っていたのですから、整備された道路を個人が占用する?「なんなんだかね」を通り越して笑いがこみ上げてきてしまいました。

建築主にはあまり関係ないことです。そう、建物の良し悪しには何の関係もございません。

こんな事を何日も掛けてやっています。

時間2015年12月08日



プレゼントを栗ですますサンタの図
[プレゼントを栗ですますサンタの図/大野隆司 1997]
「手作りのパッチワークや絵本は、高価なテレビゲームには負けるでしょうけれど、三十年後にはきっとその大人になったその子の中に生きているような気がします」と大野隆司は絵の裏書きに添えています。

建築もそうですが、この時間を想像するというか想像できることを実行しないというか、目の前の要求に応えることで良しとしています。