時間2015年12月08日



プレゼントを栗ですますサンタの図
[プレゼントを栗ですますサンタの図/大野隆司 1997]
「手作りのパッチワークや絵本は、高価なテレビゲームには負けるでしょうけれど、三十年後にはきっとその大人になったその子の中に生きているような気がします」と大野隆司は絵の裏書きに添えています。

建築もそうですが、この時間を想像するというか想像できることを実行しないというか、目の前の要求に応えることで良しとしています。


変化2015年12月14日


クリスマスカード/大野隆司
[クリスマスカード/大野隆司 1994]

もう一人の「かあちゃん」に会いに行った。近くの駅で子供たちと待ち合わせをして・・・特別養護老人ホームへ。

「かあちゃんは」は東京大空襲で背中に負ぶった娘を焼夷弾の炎で死なせている。一人で居ると、防空壕に上の男の子をやっとの思いで押し込み何とか助けられたこと、下の娘を焼夷弾で焼き殺してしまったことを思い出してベットで泣いていると・・・。不安で、一人で此処には居られないと・・・。

しばらく話をしていると、助けられた男の子が私になっていた・・・。

見守る側、見守られる側それぞれの幸せはそれぞれの所に(?)・・・。生死に対する思想とそれらを支えるシステムがより良く変わることによってこれから先、少しはましになるのかも知れないと思う反面、我々の老後が今のシステムのままなら、放って置かれる老後も有りかな、とも思ってしまう。


確認申請22015年12月17日


ワビスケ

住宅の設計では、その建物部分の設計を法律上の問題で悩むと言うことはあまりありません。個人の戸建て住宅に限って言えば法律による規制はあまり受けない種類の建物だと言うことが言えます。

国[建築基準法+施行令+規則+告示+通達]+地方[条例+細則+例規(解釈)+判断(担当)]、だいたい直接建築だけでこのくらいの中の条文が、法および法に準じて関わってきます。

個人住宅であれば、建物そのものにはそれほど難しい法律判断はありません。ただし、敷地や接道条件に関わる道路、それから排水などでは大いに悩まされます。あぁ、それから増築の時の既存の取り扱い(審査側がどのように判断するかによって、、、、これには結構へこたれます)。

こんな事がありました。
計画地に接する道路はすでに何年も前に全線拡幅整備された町道でしたが、管理者である町の道路台帳の幅員が直されていなくて、建築の審査側では元々の4m未満の所謂、法42条2項道路だというのです。現地の写真を付けて、道路管理者の幅員証明を付けても建築の審査側は道路台帳でしか幅員は判断できないというのです。道路台帳の修正には議会の承認が必要、今すぐなんて無理。町の道路管理者の所へ・・・・、審査担当者へと行ったり来たり・・・・、二度三度、いよいよ堪忍袋の緒が切れます。これを判断するのは設計者や建て主の責任か、と・・・あんた審査側が決まりを付けろ、と・・・。

建築基準法のどこにも道路台帳による幅員判断など書いてありません。設計者の幅員測定が信用おけないなら、審査側で測りに行けばいいのです。「自分で行って測ってくれば」と、そこまで言っても動かないんですね。彼らは何を審査し何を守りたいんでしょうか、本当に分からなくなります(自分が何時も正しいなんてもちろん思っていません)。

挙げ句どうなったかと言えば、道路台帳幅員3mの線、2m後退の線、現況道路幅員の線と文言を図面に表記、2m道路後退までが道路幅員で5mで整備された現況道路境界までは道路敷きだという判断だそうです。「なんなんだかね・・・?」

当初、審査側は、この場合の道路敷きによって接道しているかどうか、場合によってはこの部分の占用許可の必要性がある?云々を言っていたのですから、整備された道路を個人が占用する?「なんなんだかね」を通り越して笑いがこみ上げてきてしまいました。

建築主にはあまり関係ないことです。そう、建物の良し悪しには何の関係もございません。

こんな事を何日も掛けてやっています。

確認申請32015年12月18日


口の周りが随分白くなりました/ブン

情けないことに、書類の書き間違いや図面の表現ミスを確認申請で指摘されます。間違いが訂正できるのでありがたいことでもあります。

耐震偽装問題をきっかけに法の改正やら運用の厳格化などで一時確認審査業務に停滞が起こりました。かれこれ10年くらいは経つのでしょうか。

その後、運用の改善やらが進み、新築物件については建築確認手続きに何か支障があると言うこともなくなりました。小規模な新築木造住宅での話です。

ところが、この運用の厳格化によってほとんどの増築が出来なくなった時期があります(手続き上適法にやろうとする場合)。今から10年くらい前までは工事完了時の検査をほとんどの建物が受けていなかったのです。法律上は手続き違反も違反ですので既存不適格にならないのです。住宅などは法律上、検査を受けなくても使用できることになっています。ですから当時、審査側も他のだれもが放っておいたのです。

それで、法律通り運用しようとしたら、違反のある建物に増築は出来ないと言うことになってしまったわけです。

昭和56年、平成12年に構造関係が大きく改正され、それ以前の建物はそれまで適法な状態であっても、法改正により不適合な建物になり、違反が無ければ既存不適格となったのです。ただし、手続きも含めて違反があれば違反建築物です・・・法律通り扱えばですが。

その後の運用の改善などで大概の審査機関(行政・民間)では(そんなに多くを知りませんが)増築も審査対象になりました。国からの通達、技術的助言などで、ある一定の条件下では手続きがそれほど高いハードルではなくなりました・・・一部の審査機関をのぞいて(私の知る限り)。

完了検査を受けていない建物についても既存不適格建物と判断できる基準を国は出しているのですが、一部の審査機関は適法性を証明しろと迫ります(証明しようとするには建物の大半を解体するしかありません・・・それでも、証明できるかどうかは分かりません)。国が出している手続き上の基準はクリアーしていてもです。「なんなんだかねー」

これでは受けつけないんだから前に進めません。しょうがないので別の審査機関に確認を出すことにします。

法律の第1条にはその法律の目的が書いてあります。法律的に行き詰まると此処を読むようにしています。









変化22015年12月25日


渓流/笹島喜平
[渓流/笹島喜平 1956 ] 

墨摺の木版画が好きだったことがきっかけで版画作品に興味を持ったのですが、笹島喜平の特徴的な版画技法(拓摺)は好きになれず、地元作家で作品を観る機会も多かったのに興味も湧きませんでした。

年齢というのは感じ方も変えるのか「渓流/笹島喜平」を観て一気に好きになりました。今から数年前のことです。

写真ではわかりづらいのですが、和紙に流れの水がしみ出すようにも見えます。

まぁ、それでも、拓摺作品はどうも古い感じがして好きにはなれません。この摺、笹島喜平の作品としては新しい物に多いのですが・・・。

持ち家に限って言えば、ほとんどの人は30年、40年と一度の住まいに住み続けるのだろうと思います。この長いスパンを乗り越えられる住宅、変化を受け入れられる住宅・・・私にとっては難しいですが・・・何時も頭の隅に置いておく必要がありそうです。

レガシー2015年12月29日


谷中安規カット集より/大野隆司 編
[改造における谷中安規カット集/大野隆司 編集 1985]

大臣からテレビ司会者まで「レガシー」と連呼しています。

レガシー→遺産という意味だとすると、私の年代からなのか遺産→相続や分割を連想してしまいます。

有形無形にかかわらず、先人の残した財産という事を一般的(?)に遺産というのではないのでしょうか・・・?。彼らはこの「レガシー」から何を言いたいのか? 私にはさっぱり分かりません。

負の遺産にならないように・・・100年も200年も・・・などと言われると、ますます何を言っているのかさっぱりぽんです。

新国立競技場、やっと動き出すのでしょうか?。

ザハの当初案、私はこれに興味がありました。どんな風に出来上がるんだろ・・・・と。金がなければ出来ませんね・・・。挑戦的な建物、60年前に出来て今の時代は出来ないんですね・・・たかが2500億?・・・初めら5000億で作ると言っていれば、出来たかも知れません・・・残念。
もしこれが出来て、将来、遺産と認められるかどうかは別問題ですが・・・。

今風の建造物で決まりました。結果、予算以外こんなに大騒ぎすることはなかったように感じました。