新年度・スタート2015年04月11日

4月は事柄が大きく変わる時期です。季節も行ったり来たり、4/9(木)は飛駒へ仕事で出かけました。この時期、さくらが満開なんですね・・市街地に比べて1週間くらい遅いでしょうか。出かけた前日には雪がかなり降ったようです。山の白い雪と満開のさくらを何人もの人がカメラに納めていたと・・。
同じ佐野といっても場所がほんの少し違うだけで見る景色も違うんですね。その場所・環境をみて建築考えないとだめですね。
ブログ始めようなどと思っていなかったので、頭の中にしかこの日の風景はありません・・残念。

うだつ2015年04月13日

壁を伸ばしている
うだつが上がるあがらないの「うだつ」の話です。建築的な用途としては防火袖壁ですね。佐野市内でも大通りに1軒みられます。長野県の海野宿は通りの風景としても良い雰囲気を作っています。現代では外壁・開口部の放火性能が良くなって、たいがいの建物は防火上の袖壁を必要としません。財力が出来ても、わざわざ「うだつ」をあげる必要がなくなったのです。

私の住んでいるところ、10年くらい前までは畑が結構残っていました。冬になるとその畑がくせ者で、西風・・想像以上の強風・・が大いに表土を巻き上げるのです。それはまさしく砂嵐、西風が吹くたびに窓台がうっすら埃だらけ、それが冬になると連日ですからたまりません。

そこで、「うだつ」が防火目的であるならなんとか防風目的で袖壁は付けられないかと思った次第です。南側へ西風が回り込まないよう西壁を跳ね出して伸ばしてみました。

閑坐聴松風2015年04月14日

「かんざしてしょうふうをきく」禅語ですが茶席によく掛けられるようです。釜湯の音が松の葉を揺らす風の音を思わせるのでしょうか。茶席の静けさが思い浮かびます・・実際、当人はイメージだけで思い浮かべているのです・・。

昭和から平成へ、室内の静けさが大きく変わった時代の変化ではなかったかと思います。室内での音の反響についてです。生活が始まるとあふれるばかりの家財で音は吸収され、いつの間にか音そのものにも慣れて気づかなくなります・・たぶん。古民家とまではいかなくともちょっと古い住まいで、おそらく少しガランとしたその空間に心落ち着く静けさを感じたことはありませんか、おそらく昭和の終わり頃までの住宅には静かな空間が作られていたのだろうと思います。建築材料・工法・コストそれから作る側・使う側の意識が大きく変わってきた時代変化だったのかもしれません。

大野隆司2015年04月18日

NHK朝の情報番組、猫の作品を集めた美術展を千葉で開催というコーナーで、リポーターが有名な版画家の作品もありますと言って作品を紹介しました。作家名を言わない有名木版画家とは?、すぐに「大野隆司」だぁ、と判りました。「有名な・・」とNHKが紹介する版画家大野隆司の30年前の作品が我が家にあります。早速その中の「汎画9号」・・・この裏表紙の猫がいいと、当時手紙にして作家へおくりました・・を取り出し思い出しました。その当時の猫たちと今の猫たちはその表情を大きく変えているようです。それでも、大野隆司でした。少なくとも、私にとっては有名な版画家大野隆司なんですね。写真の見返り猫は1985年当時惚れた猫そのものです。

引き算するデザイン2015年04月21日

自動運転も視野に入ってきた最近の車事情・・・。まもなく10年になる私の車には「あると便利なバックモニター」が付いています。ただただシンプルに車後方を映し出すカメラ映像をナビのモニターへ表示するだけのものですがとても便利。そんな便利なものもただ一つ、何を考えてデザインしているのかと、一種の腹立たしさえ覚えるものがあります。

私の車に付いているナビはエンジンのスタート時に選局されているラジオ局をモニターに少しの間表示するようになっています。この表示がモニター画面の上部20パーセントくらいを占有するものだから、時刻やら現在地の表示やらがすっかり隠れてしまいます。

バックモニターの腹立たしさは、このラジオ局の選局表示が、ちょうど車をスタートしバックで移動しようとする、ちょうどその間中、表示されている事なのです。

そこで想像してみました、品物として形のデザイン・機能のデザインがどんなやりとりの中で商品になったのかを・・・。誰かが「ラジオ、どの局だか分かんないよね」と、すると「スイッチオンの時、モニターへ表示すれば便利だよね」、これで決まりです。おそらく、便利さの要求なんでしょうね・・・。でも、私にとってはこの上なく不便極まりないのです。そう、ラジオの選局情報が欲しいのではないのです。今はバックカメラの映像を鮮明に余すことなく見たいのです、時間・位置の情報が欲しいのです・・・そういう商品ではなかったのですか。

建築も当然、形・機能を持っています。要望を織り込み過ぎて本来の機能を少し置き去りにしているのではないか、形にこだわりすぎていないか・・・時々思い出さないとすぐに忘れてしまいます。

簡単もの作り2015年04月27日

私の簡単なスケッチから木工作家が制作したものに最近改めて私がペイントした写真右のグリーンのアウトドア用椅子。左側の椅子は「のこぎり・金槌・ねじ回し(出来れば電動)・紙ヤスリ」だけの道具で簡単(思いも・作業も)に作れないかと、それこそ簡単に自作したものです。実はこの椅子は二代目で、肘掛け・背もたれ部分は先代椅子の再利用です。先代は17~8年の間使ってフレームの一部が腐り始めたので、一部を二代目へ引き継いで壊しました。

自作した椅子は、それこそ材料さえあれば2~3時間の作業で十分制作可能です。図面も何もいりません。適当に長さを合わせて切り、ビス止め・釘打ちをするだけです。

ホームセンターに行けば既製品の洒落たアウトドアー椅子が手頃な値段で並んでいます。でも、意外と使いづらいんですよね。庭先で使うには椅子の脚が細くて土に刺さってしまったり、一部でも壊れ始めると後は処分するだけと、意外と寿命も短かったりします。

住宅を新築し、友達・親戚などの人寄せが一通り終わると、家造りの情熱は下火になってしまうものなのでしょうか・・・。そんなとき、日頃の思いつきを簡単な形に表してみるのはいかがでしょう、椅子でも他の何かでもいいかもしれません。そうすると、新築建物であった住まいがそこに住む自分たちの住まいへと変わっていくような気になるかも知れません。

ネパールで大きな地震があり多くの被害が出ているとのこと、どの海もどの陸地も地球の同じ表面なんだと改めて思い知らされます。一刻も早い安全の確認を祈るばかりです。

マグリットでなくマーガレット2015年04月30日

マグリット展が6月29日まで国立新美術館に於いて開催中です。

池田満寿夫は作品名「マグリットでなくマーガレット」を1970年に発表しています。池田満寿夫は誰にでもわかる形で或る作家の形を引用し自身の芸術とした作家であったと私は思っています。その中でも、マグリットからの引用は1960年代半ばから1970年代前半まで続きその引用は、ある時から見られなくなります。

「マグリットでなくマーガレット」はマグリットの「ゴルコンダ」を、この頃の池田満寿夫のブルーと白い雲はマグリットの「空の鳥」を想わせます。また、池田満寿夫のキューブを縁取った細い黒の線はマグリットのキャンパスの線です。こんなに分かり易く他者を引用しながら自分の芸術にしてしまった池田満寿夫という作家は、やはり、たいした才能だったのだと今回のマグリット展を観て、一人納得しました。

昨日は東京にいる子らと待ち合わせをしてマグリット展へ出かけました。マグリット゛知らねぇ゛ーと言う子らに、こういう見方もあるんだと、池田満寿夫のマグリットからの引用を一人で語った一日になりました。

建築における引用か模倣か、難しいですね。どちらも無かったら、奇異な街になってしまいそうだし、個性と言う模倣があふれても一時で飽きられてしまいそうだし・・・。芸術は時代が振り落としてくれるので、基本的に良いものが残ると言われるようですが、常に使われ続けなければならない建築にとっての最良の解は引用か模倣かはたまた独創か? こんな事も、昨日は少し思った一日になりました。

国立新美術館は黒川 紀章にとって最晩年の作(ウィキペディアで見ました)・・・竣工した当時、巨大なガラスの掃除は大変だなぁと、ちまちました心配が頭をよぎりました・・何せ美術館ですからね。昨日見て、ガラスはやっぱり汚かった。展示された美術品は百年近く経つのにピカピカ・・・うらやましいですね。